2009年8月31日 (月)

こんどの選挙を採点すると

今度の選挙を採点すると

100点満点から減点法で数えると

高知1~3区の「三馬鹿大将」が当選したこと  -3点

有田芳生と保坂展人が落選したこと       -2点

「風車のおゆり」が比例復活したこと      -1点

森、安部、福田が当選したこと         -3点

小泉の馬鹿息子が当選したこと         -1点

合計                     -10点

つまりは90点というところか。

優勝して浮かれていいのは「ファン」だけである。我々は「ファン」でもサポーターでもなく、プレイヤーである。そうである以上、次のゲームの準備をしなければならない。政権がかわろうが、どうしようが要求・抵抗を続けなければならないことに変わりはない。一つの希望は、我々が無効を申し立てている学長任命行為は「前政権」によるものである点だ。これを「前政権の不法行為」であることをどれだけ明確にしうるかに今後の展望はかかっている。

それでは次回からまた、学長選の問題にもどろう。

2009年8月30日 (日)

投票日の朝に

投票日の朝に

今日は衆議院議員総選挙である。今朝を迎えて、2年前の高知大学長選挙の投票日の朝を思い出した。あの時は前日の夕方他学部の人たちと連絡を取り合い、おかしな動き(怪文書など)はなにもないことを確認して帰宅し、当日はいつもより早く大学に行って、メールボックスの中を調べたのだった。怪文書などはなかった。それまでの医科大学の学長選挙から見て、おかしな動きがないのはある意味不思議だったが、「おかしな動き」がないわけではなかったのは、はやがて判ることになる。

 昨日の白川勝彦氏のブログに、「投票箱がしまるまで勝負は終わらない」という意味の言葉があった。ところが、我が高知大学では、投票箱がしまってからおかしなことが起こった。つまり、日本ではありえないことが高知大学では起こったということなのだ。うーむ、「日本にない大学」というのは高知工科大ではなく高知大のことだったようだ。

 まあ、国政選挙ではおかしなことは起こらないと信じよう(もし、それが起こるようなら文字通り「革命」しかない)。

 これから、投票に出かける。そして、こちらが決着がついたら(夜の早い時間にあきらかになるだろう)、怒りをあらたに「投票箱がしまってからおかしなことが起こった」大学の問題に戻ることにしよう。

●8月30日に総選挙と同時に行われる最高裁判事の国民審査では竹内行夫に×をつけよう

*この問題に関しては天木直人氏のブログhttp://www.amakiblog.com/参照

2009年8月29日 (土)

笑える自民党の検尿広告

笑える自民党の検尿広告

昨日も新聞に-→+ +→++ という意味不明の広告が載っていた。意味不明ではあるのだが妙な既視感のようなものがあった。来週の健康診断の問診表を書いていて気づいた。あっこれは要するに、検尿の結果ではないか。タンパクが-だったのが+、糖が+だったのが++というわけで、要するに自公政権によってだんだんわが国は健康状態が悪くなってきたということを示す広告のようである。

こんなあほのような広告を打っていても、全国的趨勢とは無関係に、私の住んでいるあたりでは小選挙区では自民党候補が安泰のようである。選挙民の皆さん幸せなかたがたなのだろう。とっている地方新聞を見ても、今日の朝刊でも、選挙の争点を整理してはいるが「地域格差」の問題に触れることはないし、小泉構造改革なるものに対する賛辞に終始している(『高知新聞』8月30日朝刊)。きっと現状に不満なぞないのでしょうね。

芸者さんとツーショットのおかしな写真が『週刊現代』に出ようが、郵政民営化に反対と言いながら賛成票を投じようが、いざ選挙となると投票してくれるのだから、支持者というのはありがたい限りである。あるいは、高知県民は在野精神が豊かなので「野党」候補(8月31日以降は)に投票するのが好きということなのかもしれない。

いずれにもせよ、投票日まであと一日である。

●8月30日に総選挙と同時に行われる最高裁判事の国民審査では竹内行夫に×をつけよう

*この問題に関しては天木直人氏のブログhttp://www.amakiblog.com/ 参照

2009年8月 3日 (月)

植草一秀氏の収監に断固抗議する

植草一秀氏が本日収監された。まさに、これから総選挙までのちょうど一ヶ月の間、比類ないオピニオンリーダーが獄中にとらわれることになる。この暴挙に怒りを禁じえない。だが、どのような卑劣な手段に訴えても、政権交代に向かう巨大な流れを押しとどめることはできない。階層や立場を超えて、多くの人々が政権交代にかけるしかないと思い定めているのは、小泉改革なるものがこの国を決定的にゆがめてしまったという共通認識に基づいている。植草氏はそのような声無き民の代表者である。同氏の運命を我々の運命としてとらえ、彼の志を引き継いで、なんとしてでも政権交代をそして小泉路線からの政策転換を実現しよう。そして、獄中にある植草氏が不利な取り扱いを受けることがないよう、う権力の動向を注視しよう。

Mr.Uekusa. May the Force be with you!

2009年6月29日 (月)

政権交代を政策転換の契機に

政権交代を政策転換の契機に

 果たして「政権交代」がありうるのかどうか、極めて微妙な状況になりつつあるのはたしかである。しかし、総理大臣が「惜敗を期して」と公言していると言うことは、「惨敗でなければまだまし」という意識(無意識?)が働いているということなのだろう。とすれば、やはり政権交代はあるのか?

 だが、「政権交代」がもしあったとして、ことはそこでおしまいではない。常に言われることだが、民主党あるいはそれを中心とするグループ(社民、国民、日本新党etc)は政策上はごった煮であり、右から左までの勢力を含んでいる。したがって、多くの人たちが「民主党に期待すべきでない」というのも一理ある。だが、そうであっても、いやそうであるからこそ、私たちは政策転換(このブログの趣旨から言えば、国立大学法人化に係わる政策転換)を「次の政権」に強く求めていく必要がある。

 固定した政策上の軸が存在しないからこそ、我々の主張が広汎な国民の声となれば、それが政策に反映される可能性が大きくなるのである。小泉改革のもたらしたものを全面的に見直すということが、「次の政権」の課題となることは疑いの余地がない。郵政民営化に先だって行われた国立大学の法人化を国民的な議論に載せていくこと、これが私たちの課題である。

学長選考(学長任命)に対する異議申し立てという私たちの個別的な闘いを徹底して行うこと、それを通じて今回の高知大学長選考に現れた国立大学法人化の矛盾を裁判という場を通じて徹底的に明らかにしていくこと、そのことによって「次の政権」に政策転換を求めていくこと、これらのことを一体として推し進めることで勝利の展望は切り拓かれるのである。

最後に、植草一秀氏の実刑判決が確定したとのニュースを日曜日に聞き、いささか愕然としている。「この時期に、あいつらはそこまでやるのか」というのが率直な感想である。同氏には一面識もないが、この間同氏のブログからは実に多くのことを学ばせてもらい、深く感謝している。ただちに収監されるのかどうか、法律には素人の私には判断が付かないが、もし下獄ということになったら、くれぐれもお身体に気をつけて頂きたいと思う。影響力という点では同氏に比べるべくもないが、日本の端で「辺境の狼」として生きる一ブロガーから送る連帯の挨拶である。

2009年5月17日 (日)

敢えて小澤一郎擁護論2 ―「国策捜査」について

敢えて小澤一郎擁護論2 ―「国策捜査」について

 前号につづく

 このあたりから、このブログの本題に近づいてくる。

 

 さて、問題は公設秘書の逮捕に関連して鳩山新民主党代表や小沢前代表による「国策捜査」「検察ファッショ」という主張の妥当性である。

 今回の件がそれに該当するかどうかは措くとして、「国策捜査」はあると考えるのが常識だろう。

犯罪事実があって、捜査が行われ、裁判となるプロセスに恣意は入り込みにくいと一般には思える。しかし、「犯罪」と見なしうることがらは極めて多岐にわたっており、通常これらの全てについて、強制捜査や裁判を行うわけではない。例えばホテルの宿泊者名簿に偽名を書いてもそれは犯罪である。そんなことで逮捕されることはないというのが常識だが、某宗教団体のメンバーの多くがそれで逮捕されている。明らかな別件逮捕だが、逮捕した側からすれば法律に基づいて捜査を行った結果という説明になる。

 これらの極めてたくさんの「犯罪行為」のどれを取り上げ、どれを取り上げないかは、検察ないし警察が判断するわけだが、そこに一定の「政治判断」が働く余地がある。警察も検察もいずれも内閣総理大臣をトップとする官僚制度のもとにある以上、我々が彼らに期待しうる政治的中立性は、せいぜいのところ官僚機構に期待しうる中立性を大きく上回るものではありえない。

 「国策捜査」の中身が以上のようなものであることを考えれば、私たちは検察・警察がどの案件を取り上げたかではなく、どの案件は取り上げないかにも注目する必要がある、森田健作問題しかり、かんぽの宿問題しかりである。

 そして(やっとこのブログの趣旨に戻る)、我々の刑事告発に対して高知地検が下した不起訴の決定についても同様である。これが、学長任命を巡る行政訴訟(法務大臣が相手側になる)に関わった政治的判断ではないという証拠はどこにもないのである。

 今回の行政訴訟の国側の反論の中では、刑事告発について、地検が不起訴の処分を下したことが違法行為がなかったという証拠として挙げられている。この反論を書いた国側弁護団は高松高検の検事を中心に構成されている。言うまでもなく(高松)高検―(高知)地検は上級機関―下級機関の関係にある。つまり、国側反論をわかりやすく言えばこうなる「うちの子分が犯罪がなかったと言っているのが犯罪がなかった証拠である」。こんな子供だましを平気でやる検察というところをあなたは信用しますか?

                              つづく

補足:昨日(5/17)の民主党代表選挙は面白かった。開票にさいして、時間をかけて何度も投票用紙を数え直していたからではなく(笑)、投票に先立つ二人のプレゼン及び司会(福岡政行?)との質疑に両候補の優劣がはっきり出ていたからである。NHKの全国中継を見ていた人で、鳩山の勝ち、岡田の負けと思わなかった人はいないはずだ。投票結果はその通りだったが、さらに興味深かったのは、中継をした当のNHKも含めて、マスコミがこのプレゼン+討論にはまったく触れず、「世論は岡田を支持している」というキャンペーンに終始したことだ。もし、その中継を見ていない人は多分ユーチューブにでもアップされていると思うので見てほしい。私のことばが誇張ではないことが理解できるはずだ。

 

2009年5月16日 (土)

敢えて小沢一郎擁護論(1)

敢えて小沢一郎擁護論(1)

民主党代表の小沢一郎氏が辞任した。権力の座にある者(野党第一党党首もある種の権力者である)を擁護するのは私の美意識に反するので、擁護論はひかえてきたが、マスメディアによる「小沢亜流批判」なる泥人形攻撃がつづいているので、あえてここで擁護論を展開したい。

 本ブログの本来の趣旨と異なるようだが、そうではないことは最後まで読んでいただければあきらかになるはずである。

 これまでマスメディアによって流布された「小沢はやめるべし」との主張の論拠(論拠とも言えないものだが)は二つある。一つは公設秘書の逮捕に関わる引責 二つ目は政治資金等を巡る「説明責任」である。

 一つ目の問題についてはいわゆる「国策捜査」であるかどうかの判断はひとまず措くとして(この問題については後述する)、少なくとも逮捕された公設秘書は容疑事実を否認しているのであり、裁判で決着が付くまではこれが犯罪行為であるかどうかの結論はでていないのである。とすれば、この場合に責任をとって同氏が辞任するかどうかは、法律上ないしは倫理上の問題ではなく美意識の問題と言うことになる。たしかに潔くやめるという行動には、伝統的な日本人の美意識に訴える所はあるが、獄中にある部下(公設秘書)が「完全黙秘・非転向」で闘っているときに、親分が無条件降伏することが一軍の将たる者の取るべき態度とは思えない。

 二つ目の問題については、そもそも何に対する説明責任なのかが、頭の悪い私には新聞等を何度読んでも理解できない。そもそも今回「明らかになった」のは、唯一中堅ゼネコンの一社から年にして数百万の政治資金が流れていたことだけである。これ以上のことは何も明らかになっていない。「説明責任」なるものが問われているのは、「明らかになったこと」ではなく、「談合を仕切っていたのではないか」、「裏金が流れたのではないか」という漠然たる「空気」に対してであるとしか言いようがない。そして、この「空気」はまさに他ならぬマスコミが作り出したものである。そして、このマスコミ(地上波テレビ、新聞)の「報道」たるや、『東京スポーツ』も真っ青なデマ・憶測・検察リーク垂れ流しのオンパレードである。つまり、マスコミは自分たちがデマを垂れ流し、それが「世論調査」に反映すると、今度は「世論はこうである」と主張するという仕組みである。これを「マッチポンプ」と言わずしてなんというべきだろう。

 

 小沢一郎氏の進退についてはすでに本人が結論を出したことであり、その件については本来はもはや言う必要もないことである。だが、今日の民主党代表選挙の結果にもよるが、恐らくマスコミによる「小沢亜流批判」はこれからも継続する気配が濃厚である。したがって、まだ上に述べたような主張をきちんと行っていくことは無意味なことではない。

 これらの問題がこのブログの本来の目的である、学長選考問題とどうつながるのかは次回に譲る。

その他のカテゴリー