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2009年6月29日 (月)

政権交代を政策転換の契機に

政権交代を政策転換の契機に

 果たして「政権交代」がありうるのかどうか、極めて微妙な状況になりつつあるのはたしかである。しかし、総理大臣が「惜敗を期して」と公言していると言うことは、「惨敗でなければまだまし」という意識(無意識?)が働いているということなのだろう。とすれば、やはり政権交代はあるのか?

 だが、「政権交代」がもしあったとして、ことはそこでおしまいではない。常に言われることだが、民主党あるいはそれを中心とするグループ(社民、国民、日本新党etc)は政策上はごった煮であり、右から左までの勢力を含んでいる。したがって、多くの人たちが「民主党に期待すべきでない」というのも一理ある。だが、そうであっても、いやそうであるからこそ、私たちは政策転換(このブログの趣旨から言えば、国立大学法人化に係わる政策転換)を「次の政権」に強く求めていく必要がある。

 固定した政策上の軸が存在しないからこそ、我々の主張が広汎な国民の声となれば、それが政策に反映される可能性が大きくなるのである。小泉改革のもたらしたものを全面的に見直すということが、「次の政権」の課題となることは疑いの余地がない。郵政民営化に先だって行われた国立大学の法人化を国民的な議論に載せていくこと、これが私たちの課題である。

学長選考(学長任命)に対する異議申し立てという私たちの個別的な闘いを徹底して行うこと、それを通じて今回の高知大学長選考に現れた国立大学法人化の矛盾を裁判という場を通じて徹底的に明らかにしていくこと、そのことによって「次の政権」に政策転換を求めていくこと、これらのことを一体として推し進めることで勝利の展望は切り拓かれるのである。

最後に、植草一秀氏の実刑判決が確定したとのニュースを日曜日に聞き、いささか愕然としている。「この時期に、あいつらはそこまでやるのか」というのが率直な感想である。同氏には一面識もないが、この間同氏のブログからは実に多くのことを学ばせてもらい、深く感謝している。ただちに収監されるのかどうか、法律には素人の私には判断が付かないが、もし下獄ということになったら、くれぐれもお身体に気をつけて頂きたいと思う。影響力という点では同氏に比べるべくもないが、日本の端で「辺境の狼」として生きる一ブロガーから送る連帯の挨拶である。

2009年6月 2日 (火)

「自治」か「私物化」か

「自治」か「私物化」か

最近話題の日本郵政の社長人事について、植草一秀氏がブログの中で竹中平蔵氏の主張を批判している。(2009年5月22日 (金 )鳩山邦夫総務相の真価が問われる日本郵政人事

すなわち、竹中氏は「西川氏(現日本郵政社長)に、経営のすべて、民営化のすべてが委ねられ」ており、「民営化とは、民間の判断に任せることであり、経営判断の問題に政治が口出しすること・・・は、根本的に誤っている。」 と主張するが、これは「日本政府が100%株式を保有する、完全な国有会社」を「日本政府ではなく、日本郵政自身に完全に委ねようとする」点で「私物化」の論理であると植草氏は痛烈に批判する。

 この議論における竹中氏の主張をながめていて、既視感に襲われるのは私だけではないだろう。

我々の「学長任命処分取消請求事件」における、被告(国)側の主張が、これとそっくりではないか!!!

 曰く「文部科学大臣が、何らの根拠もなく学長選考手続きにおいて投票用紙のすり替えがあったかもしれないと憶測したり、高知大学学長選考会議において第一結果と第二結果の両方を総合的に判断して決めるとする等の選考方針が決定されたことは不当であるといった理由で、申し出に係わる学長候補者の任命を拒否するようなことがあれば、それこそ大学の自治に対する不当な国家権力の介入として、大学の自治の本質を侵害することにもなりかねない」(国側主張)。

 一方は、国の介入は「民営化」の趣旨に反するという主張、他方は国(文部大臣)の介入は「大学の自治」に反するという主張。この二つの論理は奇妙なほどに通っている。そして、私たちが、行政訴訟における国側主張に「大学の自治」ということばが出てきたのを見たときに感じる違和感の正体もここにある。

簡単に言えば、国家権力の介入をできるかぎり排除することは、確かに「自治」が成り立つための主要な要件の一つだが、それがイコール自治というわけではないということである。すなわち、現状の高知大学において、文部科学大臣による任命権という最低限度の(そして最後の)チェック機能が働かなかった場合、そこにもたらされるのは「自治」ではなく、「私物化」に他ならないことが、日本郵政において起こっていることを参照してみると実に明確に理解できるのである。

日本郵政と大学という二つの異なった組織で起こっていることが、これほど似通っているのは偶然ではない。小泉=竹中路線の集約点は言うまでもなく、郵政民営化であり、その路線が大学教育に適用されたのが国立大学の法人化である。したがって、現状の大学の「私物化」も相良祐輔という特異なキャラクターと学長選考規程の制度的欠陥がもたらしたものであると同時に大学法人化によって構造的にもたらされたものでもある。

郵政事業ほどには国民の注目を集めてはいないが、私たちの戦いも「国立大学」という国民の共有財産の「私物化」を許すのかどうか、というすべての国民にとって極めて重要な意味を持っているのである。

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