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2009年5月17日 (日)

敢えて小澤一郎擁護論2 ―「国策捜査」について

敢えて小澤一郎擁護論2 ―「国策捜査」について

 前号につづく

 このあたりから、このブログの本題に近づいてくる。

 

 さて、問題は公設秘書の逮捕に関連して鳩山新民主党代表や小沢前代表による「国策捜査」「検察ファッショ」という主張の妥当性である。

 今回の件がそれに該当するかどうかは措くとして、「国策捜査」はあると考えるのが常識だろう。

犯罪事実があって、捜査が行われ、裁判となるプロセスに恣意は入り込みにくいと一般には思える。しかし、「犯罪」と見なしうることがらは極めて多岐にわたっており、通常これらの全てについて、強制捜査や裁判を行うわけではない。例えばホテルの宿泊者名簿に偽名を書いてもそれは犯罪である。そんなことで逮捕されることはないというのが常識だが、某宗教団体のメンバーの多くがそれで逮捕されている。明らかな別件逮捕だが、逮捕した側からすれば法律に基づいて捜査を行った結果という説明になる。

 これらの極めてたくさんの「犯罪行為」のどれを取り上げ、どれを取り上げないかは、検察ないし警察が判断するわけだが、そこに一定の「政治判断」が働く余地がある。警察も検察もいずれも内閣総理大臣をトップとする官僚制度のもとにある以上、我々が彼らに期待しうる政治的中立性は、せいぜいのところ官僚機構に期待しうる中立性を大きく上回るものではありえない。

 「国策捜査」の中身が以上のようなものであることを考えれば、私たちは検察・警察がどの案件を取り上げたかではなく、どの案件は取り上げないかにも注目する必要がある、森田健作問題しかり、かんぽの宿問題しかりである。

 そして(やっとこのブログの趣旨に戻る)、我々の刑事告発に対して高知地検が下した不起訴の決定についても同様である。これが、学長任命を巡る行政訴訟(法務大臣が相手側になる)に関わった政治的判断ではないという証拠はどこにもないのである。

 今回の行政訴訟の国側の反論の中では、刑事告発について、地検が不起訴の処分を下したことが違法行為がなかったという証拠として挙げられている。この反論を書いた国側弁護団は高松高検の検事を中心に構成されている。言うまでもなく(高松)高検―(高知)地検は上級機関―下級機関の関係にある。つまり、国側反論をわかりやすく言えばこうなる「うちの子分が犯罪がなかったと言っているのが犯罪がなかった証拠である」。こんな子供だましを平気でやる検察というところをあなたは信用しますか?

                              つづく

補足:昨日(5/17)の民主党代表選挙は面白かった。開票にさいして、時間をかけて何度も投票用紙を数え直していたからではなく(笑)、投票に先立つ二人のプレゼン及び司会(福岡政行?)との質疑に両候補の優劣がはっきり出ていたからである。NHKの全国中継を見ていた人で、鳩山の勝ち、岡田の負けと思わなかった人はいないはずだ。投票結果はその通りだったが、さらに興味深かったのは、中継をした当のNHKも含めて、マスコミがこのプレゼン+討論にはまったく触れず、「世論は岡田を支持している」というキャンペーンに終始したことだ。もし、その中継を見ていない人は多分ユーチューブにでもアップされていると思うので見てほしい。私のことばが誇張ではないことが理解できるはずだ。

 

2009年5月16日 (土)

敢えて小沢一郎擁護論(1)

敢えて小沢一郎擁護論(1)

民主党代表の小沢一郎氏が辞任した。権力の座にある者(野党第一党党首もある種の権力者である)を擁護するのは私の美意識に反するので、擁護論はひかえてきたが、マスメディアによる「小沢亜流批判」なる泥人形攻撃がつづいているので、あえてここで擁護論を展開したい。

 本ブログの本来の趣旨と異なるようだが、そうではないことは最後まで読んでいただければあきらかになるはずである。

 これまでマスメディアによって流布された「小沢はやめるべし」との主張の論拠(論拠とも言えないものだが)は二つある。一つは公設秘書の逮捕に関わる引責 二つ目は政治資金等を巡る「説明責任」である。

 一つ目の問題についてはいわゆる「国策捜査」であるかどうかの判断はひとまず措くとして(この問題については後述する)、少なくとも逮捕された公設秘書は容疑事実を否認しているのであり、裁判で決着が付くまではこれが犯罪行為であるかどうかの結論はでていないのである。とすれば、この場合に責任をとって同氏が辞任するかどうかは、法律上ないしは倫理上の問題ではなく美意識の問題と言うことになる。たしかに潔くやめるという行動には、伝統的な日本人の美意識に訴える所はあるが、獄中にある部下(公設秘書)が「完全黙秘・非転向」で闘っているときに、親分が無条件降伏することが一軍の将たる者の取るべき態度とは思えない。

 二つ目の問題については、そもそも何に対する説明責任なのかが、頭の悪い私には新聞等を何度読んでも理解できない。そもそも今回「明らかになった」のは、唯一中堅ゼネコンの一社から年にして数百万の政治資金が流れていたことだけである。これ以上のことは何も明らかになっていない。「説明責任」なるものが問われているのは、「明らかになったこと」ではなく、「談合を仕切っていたのではないか」、「裏金が流れたのではないか」という漠然たる「空気」に対してであるとしか言いようがない。そして、この「空気」はまさに他ならぬマスコミが作り出したものである。そして、このマスコミ(地上波テレビ、新聞)の「報道」たるや、『東京スポーツ』も真っ青なデマ・憶測・検察リーク垂れ流しのオンパレードである。つまり、マスコミは自分たちがデマを垂れ流し、それが「世論調査」に反映すると、今度は「世論はこうである」と主張するという仕組みである。これを「マッチポンプ」と言わずしてなんというべきだろう。

 

 小沢一郎氏の進退についてはすでに本人が結論を出したことであり、その件については本来はもはや言う必要もないことである。だが、今日の民主党代表選挙の結果にもよるが、恐らくマスコミによる「小沢亜流批判」はこれからも継続する気配が濃厚である。したがって、まだ上に述べたような主張をきちんと行っていくことは無意味なことではない。

 これらの問題がこのブログの本来の目的である、学長選考問題とどうつながるのかは次回に譲る。

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